なおなお スポチャン






アンシュッツ(独)9003プレミアム エアライフル 標的射撃専用銃 


マイケル・ムーア監督

ボーリング・フォー・コロンバイン

その感想と鉄砲の話

    


 協会本部からメールが来て「この映画を観るように」とのお勧めがあった。皆さんの中にも観た方は多いと思う。以下にその感想を書きます。


 映画のあらずじ(観ていない人の為に)
 アメリカの銃社会を告発したドギュメンタリー映画である。監督のムーアが数々のインタビューを試みている。コロラド州リトルトンのコロンバイン高校で、二名の高校生がライフルを乱射、教師1人、生徒12人が射殺された。犯人の高校生も自殺を図った。二名の高校生は事件を起こす直前、早朝ボーリングをした後、学校に出向き犯行に及んでいる。この事件を発端として映画は始まる。
 世界各国の年間銃犯罪による死者数を比較、アメリカが10000人以上のダントツであることを明らかにしている。特に同じ銃社会であるカナダは人口3000万人・1000万世帯で銃は700万丁あるにもかかわらず、年間死者数は70人未満である。人々はドアに鍵をかけず夜も窓を開け放して就寝するという。この差は何か。黒人が問題だとか家庭崩壊・暴力的アニメやゲームの氾濫・アメリカの流血の歴史 などをマスコミは指摘するが、どれも的を射ていない。なぜなら黒人は他の先進国にも大勢いるしアメリカでの黒人原因説は偏見によるものである。家庭崩壊はイギリスの方がひどい。アニメ・ゲームは日本が本場、流血の歴史はイギリスの植民地政策による多数の犠牲者やドイツのユダヤ人虐殺、日本の中国での殺戮など アメリカに限ったことではない。
 また先の事件は大手コンビニ「Kマート」で犯行に使用された口径9mm弾が売られていた事実から、その会長に銃や弾丸の販売中止を約束させている。
 次に紹介された事件は史上最年少の銃犯罪、6歳の男の子が同年の少女を射殺した事件である。ミシガン州フリントで発生。ムーアはその少女の遺影を持って、全米ライフル協会会長チャールトン・ヘストン宅に。
 ヘストンは冒頭のライフル事件の直後、わざわざ事件があったコロラド州のデンバーに赴き、
「市長は来るなと言ったがアメリカは自由だ。今こそ邪悪なものを排斥すべきだ」
とライフル協会の団結をブチ上げている。またこのような事件の原因が黒人など異人種によるものと発言し、あわてて訂正、その後アメリカの流血の歴史が原因だと発言。ムーアから、ではドイツやイギリスは流血の歴史はなかったのかと突っ込まれタジタジとなる。映画でのヘストンが如何に虚像のヒーローを演じているかを改めて認識させた。
 邸宅の主は犠牲者に謝罪する気持ちは無いと言いながら、インタビューを一方的に切り上げ別室に去っていった。



            

 映画の感想  
 我々の感覚ではコンビニで銃や弾丸が買えることは衝撃である。従って大多数の日本人はこのアメリカ事情をとんでもない話だと受け取る。日本はエアガンのBB弾(樹脂製・6mm径の球形で0.2〜0.4g程度)で撃たれても新聞に載るお国柄である。「そんなもん、銃は危険なものであるから『過剰』に反応するくらいがちょうどいいのだ」という意見もあろうかと思う。
 ではちょっと考えていただきたい。
 あなたが夜、車に乗ろうと駐車場に行きかけたら、あなたの車付近にとりついている車上荒らし犯人を発見、これまでに何度も被害に合っているので捕まえたい。急いで部屋にもどり警察に通報、警察が来るまでに犯人が逃げると困る。何か身近な武器になるものを一つ持って駐車場に戻ることにしました。万一格闘になった時、有利に戦う為です。さてあなたはどんなものを持って行きますか? 一つを選ぶとすれば?

  @ BB弾を発射するエアガン(鉄砲・ピストル・機関銃のいずれか)
  A 木刀か竹刀
  B 傘
  C バット
  D スポチャンのエア剣
  E 包丁かナイフ

 A木刀か竹刀、Cバットが選択されると思う。E包丁かナイフは少々過激すぎる。
多分@エアガン、Dエア剣は誰も選択しないだろう。まだ普段持ち歩くB傘などの方がマシだ。もし犯人をエアガンで撃ったら、かえって相手は逆上するだけではないだろうか。ナメとんのか!という怒りを込めて・・・・。ただ顔や目に当たればかなりのダメージは受けると思う。しかしそれは他の「道具」でも同じである。木刀などで顔を殴られたら無事では済まない。つまり市販のエアガンは所詮「おもちゃ」なのである。
 しかしながら@で撃たれると新聞に載る。 ── 被害者の女性は軽傷(当たり前だ)、悪質ないたずらとみて警察は調査している(ま、止めやしませんが) ──

 これって、何と大仰な・・・・と思いませんか。実際傘で引っぱたかれた方がBB弾で撃たれるよりもダメージは大きいと思うが。ダメージは身体だけが受けるものではない。むしろ精神でのダメージの方が大きい人もいる。その意味ではエア剣でボカボカに打たれたら体はアザだけだが、落ち込む人がいるだろうね。
 我々の身の回りには、武器として使った場合、エアガンなどより遥かに威力を持つ道具が沢山ある。刃物類は無論のこと、ペン類や金づちやキリ・ノミ・釘・ハサミ、果ては裁縫針に至るまで。然るに大した武器にならないエアガンでも、それが「銃」の形をしているというただそれだけの理由で新聞に載るのである。

 この「過剰反応」のもと、映画を観るとコンビニでの銃販売は「とんでもないこと」とだけしか映らないのである。
 だから1日30件以上の銃による殺人犯罪が起きているのは当たり前であると。そして銃所持を規制することが最優先で最大の効果があると。確かに危険なものは無くすことが安全につながる。直接命に関わることなのであるから、一刻も早く銃規制を導入するべきだ。緊急避難的対策として、ぼくも賛成である。
 しかし一方では残念な部分があることも忘れてはいけない。「危険なもの」を自由に売買できる環境は、本来「市民相互の良識」を信用してなされたものである。それができないで規制をかけるのだからアメリカ国民は情け無い国民なのである。これを彼らは感じなければいけない。一方日本の場合はすでに規制がかかっている。その上で銃犯罪が少ないのは当たり前だ。本当は日本人も同様に情けない国民かも知れないのだ。
 映画では単に「年間の銃による殺人事件数」を比較している。そしてアメリカはダントツである。人口も違えば、規制の事情も違う国をそのまま比較はできない。それにしてもアメリカの件数トップは揺るぎようがない。映画では日本の銃所持規制や、日本を含む他国と米国の人口の違いなどに全く触れていないのは何故だろうか? なんだか意図的に「うちは殺人件数がこんなに多いんだよ!」と言いたげな雰囲気がする。

 この映画は銃問題最重要の部分が欠落している。自由に所持できる銃を法的規制で容易に持てなくすることはよろしい。だが「何故アメリカだけに銃犯罪が多発するのか」という根本的かつ最重要の問題に対して答えが出ていない。銃規制は犯罪者の「手段」に規制をかけるのであるから確かに効果はあるだろう。しかし「何故アメリカだけに・・・・」を原因究明し、この部分での答えに対する対策が、根本対策なのである。
 参考になるのは、カナダが700万丁もの銃がありながら銃犯罪は少ないという事実である。人種問題や家庭崩壊でもなく、失業でも過激なゲームでもない。では一体何なのか。すぐ隣に模範的な国があるのだから、カナダの事情をもっと深く掘り下げ、アメリカと対比させれば答えが見つかると思う。いや答えは分かっている。少なくとも今のところはアメリカ国民はカナダ国民に比べて甲斐性がなく、暴力的で、自制心に乏く、せっかくの「自由や権利」を自ら棒に振る愚かな国民だということである。

 銃所持を規制することは、子供が悪さをするから、しないようにといって手足を縛るに等しい。問題は何故悪さをするかを調べ、しないように導くことである。その間のやむを得ない措置として、子供に規制をかけるのはしかたがない。だが、銃犯罪の対策対象は子供ではなく、市民なのである。市民は子供ではないし、大多数の市民は犯罪を犯さない。カナダ国民が銃の自由を享受しながら大きな問題なく生活できている以上、アメリカ国民ができないのは、アメリカの「恥」以外の何でもない。
 同じく日本で銃犯罪が少ないのは、すでに豊臣秀吉の1588年「刀狩り」時代から庶民に武器を持たせなかった背景がある。銃犯罪を犯す「手段」が厳しく規制されているのだから、その手の犯罪が少ないのは当たり前である。何も自慢することではない。銃の自由化があってもなお、犯罪が少ないときこそ胸を張ることができる。


           


 ところで、東大阪ではゴミ袋は透明のものを使うよう条例で決まっている。市民がゴミを分別できないのである。お上が透明ゴミ袋を強要することは「お前ら信用できないから中身が見えてすぐバレる袋を使え」と言っているのだ。分別できない我々は多分「情け無い市民」である。しかしお上は市民を信用できないと言う前に、市民に対するゴミ分別の啓発・告知・感化を徹底してやるべきではないのか。日ごろからきちんと分別している過半数の市民にとって、これほど失礼なことはない。わざと5kgのカナトコでも混ぜて出してやろうかと思うくらいである。
 この条例を決めた議員達は少なくともゴミの件では市民を信用していない。市民の現行犯だからしかたがない。だが、その議員は我々が選出した。あの汚職で辞めたK市長も(ぼくは入れなかったけど)。我々とて汚職などをされると議員を信用できなくなる。これはいわゆる衆愚政治*0のなれの果てだね。

*0 衆愚政治 選挙民が愚かであるために愚かな政治家を選んで世の中が乱れること。民主政治の蔑称にも使用される。

 ある都市では透明ゴミ袋に「記名」してまで出させる所があると聞く。もっと怒らんかい、そこの市民! ここまで信用されない市民も情け無いが、その懲罰的とも言える「記名」を強要する役人にも腹が立つ。カス同士でバトルでも始めろ! 但しエアガンは役に立たんヨ。
 我が市でこのような「記名」を強要されたら、一揆でも起こすべきである。自分が住む街に誇りが持てないことは、大きな不幸の一つである。中には誇りを持って生活している東大阪市民もいるだろうから、そのような人々には申し訳ないが、ぼくの実感だから仕方がない。あらゆる面に於いて今まで住んだ街では最低の部類に属する。熊本(生まれ)・大阪(城東区)・神戸(兵庫区)・高槻・東大阪 の順に住んだ。熊本は3歳頃までしかいなかったから「故郷」という無条件の感慨があるが、あまり記憶に残っていない。これは例外。あとは大阪(城東区)も最低の部類に属する。まだ尼崎公害訴訟、西淀川大気汚染訴訟などもなかった時代だから大阪市内は汚れるだけ汚れていた。人心もとげとげしい。タクシーに乗れば運転手の態度・口の利き方でその地方のおおよそのことが推定できる。また転居すれば、明らかに街並みや住民が醸し出す「雰囲気」の相違が分かるのである。いやちょっと立ち寄っただけでも分かる場合はある。
 以前 仙台に行った時、街全体が新しく妙にまぶしく輝いているように見えた。めったにしない旅行をしてはしゃいでいるのか? いやぼくは常に冷静だし・・・(エーッ!?)
前の晩スポチャンで頭をボカボカに叩かれたせいか(それは有り得るネ)。大阪より北にあるので、太陽光線の量が多いということはまずない。不思議に思って色々と聞いてみた。すると戦時中爆撃を受けて焼け野原となり、戦後復興をしたそうである。人々は話す人達みんな丁寧な受け答えだった。戦後復興なら大阪も同じである。ぼくの錯覚かなと思い、仙台の街並みを目に焼きつけ帰阪した。大阪の街並みは全体にくすんで見える。やはり間違いはなかったのだ。しばらく考えてみた。そして自分なりに出した結論は、かつての公害と今も続く車の排気ガスで、街全体がいぶされているのでは? ということだ。それ以外に合理的理由が考えられない。もし他の理由を思いついた方がいれば、ご連絡下さい。
 
 え〜っと、映画の話でしたよ
 そういう訳でこの映画には銃犯罪の「根源的分析」が抜けているということと、銃規制は止むを得ない処置だが、それは自分達の愚かさを証明していることであり、「これで安全が訪れる」などと安心して終わるべきではない ということです。強盗するのに銃がダメなら他の手段はいくらでもある。臭いものにはフタではなく臭いの元を断つべき。
 またヘストンはライフル協会会長として、もっと気の利いた話をするべきである。あのインタビュー内容では何も言っていないに等しい。会長として銃の犠牲者に何らかのコメントは用意するべきだし、これからの銃社会の存続を維持・推進するなら、銃社会反対派に対抗できる明確な意見を持っていなければならない。

 映画「シェーン」の中で彼が少年にせがまれて、銃(ピストル)の撃ち方を教えるシーンがある。それを見つけた母親が、そんなもの持つものではありませんと二人を叱責する。これに対してシェーンは
 「銃はただの道具だ。持つ人によってどうにでも変わる」
と述べている。けだし名言だね。ヘストンも受け売りでいいからこのくらいのことは言って欲しかった。お粗末でした。



           


 鉄砲の話 雑談として・・・・ 

 日本人の鉄砲アレルギー
 銃がテーマなので、ちょっと話しましょう。
 日本人は本来が農耕民族であることに加えて、大多数の庶民は「刀狩り」以来武器というものに無縁に近い生活を送ってきた。アングロサクソンなどは主として狩猟民族の部類に属し、日頃から弓矢・鉄砲が生活上の不可欠なものとして今日まで来ている。アメリカ国民も西部開拓の時代から身を守る銃器は生活に必須のものであった。
 我々には独自のこのような歴史背景があるから、鉄砲に対して過剰な反応をしてしまう。世界広しと言えども、BB弾で撃たれたと新聞に載るのは我が国くらいなものではないか。 他国では多分載らない。もっと他に生活に影響する事柄がある。それが敢えて新聞に載る分だけ「過剰」だ。そのような記事を見るにつけ、何だが気恥ずかしい気持ちを覚える。石でも投げられた方がよほど危険だと思ってしまうのだが。BB弾を発射するエアガンは、危険0ではない。だがそれは子供達が普通に行っている種々の遊びや運動などと大差無いか、より安全なくらいだ。モデルガンやエアガン遊びをしてそれが為に死んだなどとは聞いたことがないが、ジャングルジムや滑り台で死んだ話や他のスポーツで死んだり怪我をした話は聞く。もっともこの手の比較論は、それに携わる子供達の人口にもよるのだろうが。



          



 モデルガンとエアガンの話  

 その相違── モデルガンは外観重視しているのに対し、エアガンは実際にBB弾を飛ばすことを重視している。従ってモデルガンは本物が必ず実在するが、エアガンはこの限りではない。近年ファンの要求もあり、エアガンでありながらモデルガンという優れたものが主流となっている。
 1991年「東京マルイ」はそれまでのガスガンに変わり「電動ガン」を発売、大ヒットした。バッテリーを電源とするモーターの回転をピストン運動に変える装置が付いている。勿論バッテリーもモーターも巧妙に銃内に内臓されており、バッテリーは簡単に取り外して繰り返し充電できる。この手の銃は主に機関銃に採用され、命中率もよい。サバイバル・ゲームなどでは冬場ガス体積が減って弾道が変化することがあったが、この電動ガンの登場でそれがなくなり、コストも低減した。
 また東京のモデルガンショップが実用新案を持っていた「ホップ・アップ・システム」を採用し、BB弾の飛距離が飛躍的に伸びた。ホップ・アップとは銃身内側上部の付け根部分にラバー製の突起を装着することによって、発射された弾に上向きのスピン(回転)がかかるので、より遠方に飛ばす(直線距離で50〜60m)ことができる。ゴルフでかけるスピンと同じですね。なおこの装置はスピン強度を調整できる。(可変ホップ・アップ)外観上の影響は全くないか、最小限にとどめている。ホップ・アップは微妙に弾道が変化するので、その命中率は悪いかというと、実際にはよいという結果が出ている。これは東京マルイの基本技術の高さなども影響していると思うが、ホップアップなしよりもよいのである。同社は昔から子供用のピストルなどに低価格のものを登場させていたが、そのようなモデルでも、おもちゃとしては結構命中率がよかった。
 この他、銃身内径を弾の直径ギリギリに合わせること(これは弾の球形精度も要求されるため、長時間のバレル研磨が必要)で、弾を押し出すエアーの損失を極限まで減らす努力がなされた。外観上は無稼動の実銃を輸入し、それをもとに忠実な成形金型を作製するなどし、細かな溶接部分さへも再現している。


            

                    東京マルイ 本社ビル


 エアガン購入で大いに軽蔑された話
 ネコの巻
 うちの保育園、夜中に猫ドモが跋扈するようになった。砂地が付近にないので、園の庭や砂場に夜中出没し、ウンチやオシッコをする。先生方は毎朝一番に始末し、クレゾールを撒くのが日課になってしまった。後日、ぼくはこの作業を「クソ仕舞い」と呼称したが為に、先生方から軽度のヒンシュクをかったやも知れない。またその量が半端ではないのだ。猫ドモは限定された貴重な「砂地」に毎夜狂喜乱舞し、満身の力を込めて排泄行為に及んでいるものと見受けられる。ウンチの量や形状が、およそネコのそれとは思えないくらい、まるで小熊か大型犬でもいるのではないかと錯覚するが如き、実に分不相応なモノを残して行くのであった。子供が土いじりをするので不潔でしょうがない。せっかく植えた花、子供達も楽しみにしていたものが枯れたり荒されたり・・・・。
 近所では野良ネコにしこたま餌を与えているようだった。昼間に偶然遭遇すると、みなさん過剰に栄養が行き渡った体型である。太い腹を抱えてジロリとこちらを見ながら闊歩している。すれ違う瞬間、ケリ上げてやろうかという衝動に駆られるが、ご近所の目がある。そこは理性的人間を装い、「動物愛護」の慈愛に満ちた眼差しをもってやり過ごすのである。

 猫の嫌う匂いのもとを大量に買い込んで庭・砂場の至るところに設置したが、こともあろうに、それを標的にオシッコなんかして全く感知しない。これは挑戦である。次に砂場の砂を全部入れ替えた。ヤツらの臭いを消そうと。砂も汚いし。これは重労働である。砂の入ったバケツを何回も砂場まで運ばねばならない。5往復もすると腕が抜けそうになる。しかし砂場を満杯にするためには、ボロ布のようになりながらその10倍はやらなければならないのだ。積極的対策ではなかった為、これもだめ。
 次に保険所へ連絡。だが飼い猫かも知れず、むやみにとっ捕まえるとクレームになるなどと言って取り合わない。犬みたいに噛んだりしないからか、さっぱり要領を得ない。
 昼間でも隣の家の屋根の上から涼しい顔をしてネコドモはこっちを見下ろす。ウーム、オレ達のクソ場を人間のガキドモが荒らしておるな、しょうがないやつらじゃ・・・・とでも思っているのだろう。
 クソ〜ッ、今に見ておれ!
 考えたあげく、夜中に待ち受けて機関銃タイプのエアガンで追い散らせば懲りるだろうと、その購入を検討した。梅田地下の「キディ・ランド」にエアガンを買いに行った。
 30前後の店長らしき男に聞いた。
 「エアガン置いてますか?」
 「ありますが」
 「ネコが来てしょうがないんで・・・・」
 そのとたん、相手はこれ以上の極悪人はないとでもいうような強烈な侮蔑の眼差しでぼくの言葉をさえぎり、きっぱりと言ったものだ。
 「動物に銃を向けるお客様にはお売りできません!」
 ぼくは唖然としたが、次に怒りがこみ上げて来ので、強い口調で言った。
 「人間の子供が被害を受けているんだよ!」
 「お売りできません!」
 「人間よりネコの方が大切なのか!?」
 「店の方針です。よそに行って下さい」
 「動物保護もいいけど、人間の方が優先されるべきだ!」
 「とにかく、ウチではお売りできません!」
 まず、このような偽善者からエアガンの餌食にするべきだと思った。(こんなこと考えてはいけませんょ!)

 動物愛護の論理的貧困
 イルカの巻
 まるで地球上のネコ達をオレが救うんだと言わんばかりの勝ち誇った態度であった。この「正義の味方」は、動物愛護の「人」に対する位置づけなど毛頭考えたことのないヤツなのだろう。動物愛護は人間愛護の大前提があっての話である。この基本を分からずして動物愛護を口にするな! 
 かつて隠岐島の漁民だったかが、漁場を荒らすイルカを次々に殺していることについて、米国動物愛護協会が噛みついたことがある。けしからん!人間の友達であるイルカを殺すなんて! 歌手のオリビア・ニュートンジョンもカナキリ声を上げて日本を非難した。
 では漁民の生活をヤツラが助けてくれるとでも言うのか? 漁民は趣味でイルカを撲殺しているのではない。生活に関わる漁場を荒らされるから仕方なしにやっているのだ。それをするなというなら、漁民の生活を補償する提案でもするべきである。人間が死活問題を抱えているのに、そこに追いやったイルカに味方する。人間は可哀想では決してないのである。
 平気で人を殺すヤツがいるかと思えば、人を犠牲にしてまで動物を救おうとする。また血のしたたるステーキをうまそうに食う一方で、フェンスに挟まった一匹の犬を何時間もかかって救出する・・・・。デタラメな世の中です。
 では、次も変な話を。

 クジラの巻
 おかしな主張がまかり通っている。クジラは知能が高くて可愛いから殺すべきではない と言うのだ。では欧米人が食っている牛やブタは知能が低く可愛くないから殺して食べてもいいのか? 美人が罪を犯せば無罪放免で、ブスが同じ罪を犯せば死刑になるのか? 「裁判」は判事趣味による美人・ブスコンテストじゃないか!? また知能指数150以上は無罪、100〜150未満は懲役5年、100未満は死刑か?

 あの悪名高き国際捕鯨委員会では、捕鯨反対国の言い分がこのような感情論に基づいているのである。信じられますか? 高名な動物学者などもいるのに、である。
 今ではクジラが増えすぎて(日本の調査捕鯨調査データによる)、イワシなどを大量に食っているから、漁獲高は世界的に激減している。日本は調査データをもとに、これ以上増えないように捕鯨再開を主張、また絶滅せぬよう計画捕獲を実施することで、小魚の漁獲高も確保できるとしている。大体日本ほど、クジラを頭からシッポに至るまで有効利用していた国はない。米国では油のみを取った後、まるごと捨てていたバチ当たりな国民なのである。
 動物愛護を唱える輩は、かようにおよそ論理的な思考経路を持たず、身勝手な感情論をヒステリックに叫んでいるのである。このような確信犯には如何なる理論も通用しないものだ。だって可愛いんだモン・・・・で済まされる。

 かつてウチの会社に人材派遣会社から40過ぎの独身女性が入ってきた。小太りでギョロ目。体型のせいか、服装が妙に幼稚でダサい感じ。きっと暢気な生活をしてるんだろう。動きが恐ろしくトロいオバハンやったがイッパシの口叩きよる。聞けば「日本動物愛護協会」の副会長。 ケッ なんやそれ。会長はと聞くと「大屋さんです」あの大屋マサコ、元テイジン社長の奥さん(TVなどで「うちのお父ちゃんが・・・・」と言ってた人ね)。 で、家に何か動物がいるのかと聞くとネコが5匹いるとのこと。
 「一番可愛いのは1年前に来たミッシェルです」
 「ミ、ミッシェル? 」
 「そう、ミッシェル。いい名前で気に入ってます」
 「ホー そうかい。ウチのマングースはヨハネじゃ!」
 ミッシェルに触発されて、反射的に口から出任せを。
 日本の動物愛護協会はどんな見解をしているのか「捕鯨問題」で、ちょっと揺さぶりをかけてみた。しかしこちらの挑発には容易に乗って来ない。なかなか冷静な面も持ってる。結局彼女の在社1年半では「愚かさ」のシッポはださなかった。そして初春のある日、何の前触れもなく忽然と消え去った。
 余談だが、ヨハネといえば厳かな感じがするが、何のことはない、英語読みだとジョン、パウロはポール。「ジョンの福音書」となると極めて軽〜い感じがします。

 カモとアザラシの巻
 以前、「矢ガモ」が有名になったこと、覚えていますか? ボウガンの矢が刺さったまま生きているカモが発見されたのである。確かに痛々しい姿だったが、たかがカモ1羽に騒ぎすぎだ。交通事故だけで、人間様はその日何人死んでる思てんねン。TVで焼き鳥をパクつきながら、矢ガモが可哀想で見ていられない・・・・と発言するサラリーマンが映っていた。レポーターから「今あなたは何を食べてますか?」と突っ込まれ、ギョッとしてたっけ。言われるまで分からんとは・・・・。せいぜい仕事がんばれよ。
 タマちゃん。そら1頭や2頭、川に迷い込むおかしなアザラシもおるわイ。わざわざ遠方から見物に来たり、海に返してやろうと大枚はたいて救助活動始めたり。放っておいたら罰でも当たるんでしょうか?
 ぼくはね、憂鬱な気分なのです。先のサラリーマンみたいに、普段の生活では平気で肉を食い、他方で眼前に現れた特定の1匹の動物を必死になって心配するという「気まぐれヒステリー」と、その心配を3日で忘れてケロッとしてまた肉をパクつくノー天気な姿をみると。こんな平和でボケた国はそのうち滅んでしまいます。

 人間の巻
 もう一つ感動する話を。かなり前、カアチャンの友人が結婚するということで、式に出席した。(ぼくは無関係ゆえ、家でおとなしくしてた)式から帰ったカアチャンの話。
 「新婚旅行はヨーロッパやて。それからアフリカの難民に30万円を寄付すると披露宴で発表してたわ。」
 「な、ナニ?アフリカ? なーんでアフリカやねん!」
 ぼくは思わず食っていたケンタッキーのコロモを、「アフリカ」のフの部分を発音する時に30cmほど飛ばしてしまった。確かに当時アフリカ難民のことがマスコミで話題になり、TVニュースなどで盛んに流れていた。ぼくは肉片を飲み込んで続けた。
 「オー、泣かせるやないケ、そんな遠いトコに寄付して。日本は心配ないんやな、大阪も、そいつの街も! えートモダチ持ったのー」
 「確かにマザーテレサも言うてたわ。あなたの隣人から助けなさいて」
 「道楽で寄付するなと、そのトモダチに言うとけ」
 「アイアイ」



          



 で、ネコドモとの対決はどうなったのでしょうか?
 エアガン路線はぼくの主義により断じて変更しなかった。(よーするにエアガン絡みにしたかっただけやロ?)以前から家にあったライフルタイプのエアガン(威力があるのでサバゲなどでは使えない)を銃ケースに入れ肩にかけた。あたかもそれは戦地に赴く勇敢なる兵士の如くであった。玄関まで見送りに来たカアチャンに
 「必ず帰って参ります」と敬礼したら
 「立派に・・働いて・・・・」と言いよどみ、ゲラゲラ笑い出しおった!

 子供達の帰った保育園はあまり気持ちのいいものではない。子供用の小さな椅子を用意し、エアガンを上に置いて準備した。夜11時頃だった。電気を消して庭に面したアルミサッシのガラス戸を開け放ち、銃を構えて敵を待った。30分・・・1時間・・・・ まんじりともせず、ひたすら待った。ウーム、恐れをなしたか、卑怯者・・・・ 幾度となくアクビを連発し、タバコを吸った。気配を察知したか、深夜1時になっても現れないではないか。更に待つこと30分・・・・。まだ現れない。
 そして2時前、あきらめて帰ることにした。運のいいヤツらだ。
 ヤツらの侵入経路は一度フェンスに登った後、庭に着地している。何故か園の屋根からの直接ダイビングはないようだ。従ってフェンスに登れないようにすれば効果があるかも知れないと考えた。後日、大工さんに依頼してフェンスの上周囲に、猫よけの尖った器具を取り付けた。その狙いは見事に当たった。以来、先生方の朝イチのお仕事「クソ仕舞い」は無くなったのである。彼女達は伏して喜び、ぼくが男としての株を上げたことは言うまでもない。
 その後、ネコどもがどこで用を足しているか、誰も知らない。
  (あの〜、フェンスの対策は園長センセの発案だとお聞きしてますが。取り付けたんは大工さん、経費は園持ちやし・・・・・・)


 銃規制の変遷  

 銃で何か事件が発生した場合、公安委員会はここぞとばかりに銃所持規制を強める。お上にすればその方がより市民の安全を確保できるし、様々な手間も省ける。市民の大多数も、自分がこれから銃を持つ訳でもなく、安全が増すのであるから不満は皆無と言ってもいい。ただ、ぼくのように銃免許を持っているものには非常に応える。
 ぼくが最初に意識した規制は対モデルガン(ピストル)に関するものである。当時のモデルガン(ピストル)は金属製で見た目には本物と差はなかったようだ。(本物を見たことが無いので比較できない)金属モデルガンは中学生の頃、友人がワルサーp-38を買ったので、触ったことがある。ブローバック仕上げで惚れぼれするような重厚感があったことを覚えている。そのモデルガンに暴力団などが改造を加え、実弾発射可能な銃に作り変えたり、そのままの銃を使用して銀行に押し入ったりする事件が相次いだ。
 そこでお上は金属製の銃(ピストル)は銃身を黄色に塗り、銃口は塞ぐように法律を改正した。これではモデルガンの意味はなくなる。苦慮したメーカー側が金属使用をやめ、モデルガンの価値を維持するべくABS樹脂などで作るようになったのである。これなら規制に抵触しないで、モデルガンの面目を保てるのである。現在では樹脂加工技術が進歩し、見た目に金属と変わらぬ重厚感がよく出ている。
 結局は誰かが今のモデルガンを構えて、これは本物だなどと言えば、言われた方は信じてしまうから、昔と同じになった。

 実銃(ライフル)に対する所持規制強化は、何と言っても「金嬉老事件」*1(きんきろう──)が契機になっている。この事件以降、火薬ライフルは単に銃砲所持許可試験をパスしても持てないようになった。日本ライフル協会の推薦(標的射撃二段以上)を必要条件としたのである。標的射撃二段というのは、ほぼ中堅クラスの腕前である。
 
*1 金嬉老事件 1968年(S43)2月20日 在日韓国人金嬉老(キンキロウ)は静岡県清水市のキャバレー「みんくす」で借金を踏み倒すためヤクザ2人を射殺、その足で寸又峡「ふじみ屋」旅館に立てこもり宿泊客など13人を人質にした。警察は彼のライフル所持を黙認していた。また事件直前、知り合いの巡査にライフルとダイナマイトを見せ、「大きな事件が起きるかも知れない」と述べたが、巡査は彼を放置した。胴体に150本のダイナマイトを巻き、在日差別の告発と清水署刑事の差別的扱いに対する謝罪を要求した。TV報道・マスコミインタビューを要求し、全国に報道された。 88時間後、報道記者に混じって会見に及んだ刑事に取り押さえられた。
 懲役を32年勤めた後、1999年(H11)9月、71歳で仮出獄。在日の朴住職が身元引受人になり、亡き母の故郷韓国釜山に。しばらくは韓国の「英雄」として各地を講演活動などしたが,彼を英雄視することに疑問を持つ国民が増え まもなく忘れられた存在となった.獄中結婚していた妻は600万円を持ち逃げ.2000年の暮れに後援者の人妻宅に押し入り,夫を竹やりで脅し,殺人・放火未遂となる. 懲役2年六ヶ月.以後「性格障害」と判定され釜山療養所に.
   彼の手記「われ生きたり」は新潮社から出版。

       

         ヤクザ二人を射殺後、ふじみ屋旅館に88時間立てこもった金嬉老



 更に1972年の浅間山荘事件*2後 銃所持者に専用ガンロッカーの設置徹底とそこに錠を三個以上付けること、更に1銃に対し1ロッカーとすること、ロッカーは壁に固定すること、ロッカーは全景写真付きで警察署に登録すること を義務付けた。この頃連合赤軍系の犯罪が目立つ。よど号ハイジャック・シージャック(犯人は射殺された)・テルアビブ空港乱射事件などである。中核派やそのシンパなどのビル爆破事件も頻発した。
 1979年、大阪で起こった三菱銀行人質事件*3では警官・行員7名が死亡、梅川も射殺された。かれは銃砲免許を持っていたため、以後銃砲所持許可は容易なことでは下りなくなった。

*2 浅間山荘事件 1972年(S47)2/19 連合赤軍メンバー5人は銃砲店から奪った猟銃・ライフルで完全武装し、警察の追跡を逃れ、河合楽器所有「浅間山荘」に立てこもった。管理人の牟田泰子を人質に219時間、10日の篭城であったが、この間 警官2名、民間人1名を射殺した。10日後の夕刻、警官隊の突入により全員逮捕、人質は解放された。先ごろこの事件が映画化されたことは周知の事実。

*3 三菱銀行北畠支店人質事件 1979年(S54)1/26 大阪市住吉区の三菱銀行に強盗目的で押し入った梅川昭美(あきよし)30歳が、散弾銃を持ち込み、行員・銀行客らを人質に42時間立てこもった事件。押し入った際、行員2名と駆けつけた警官2名を射殺。その後に駆けつけた警官を更に1名、110番した行員1名、支店長1名を射殺。合計警官3名、行員4名を射殺し、他2名に重傷を負わせた。警官隊が突入し、梅川は射殺された。

 銃砲所持免許は現在二種類存在する。一つは各都道府県の「公安委員会」主催の試験、もう一つは知事が主催する試験である。前者合格の場合は標的射撃のみが可能、後者合格の場合は標的射撃と狩猟が可能である。(但し狩猟は毎年の狩猟許可申請する必要がある)いずれも所持できるのはエアライフルか散弾銃(12番口径:約20mm径の弾を使用)に限られる。火薬の小口径(5.6mm径)や大口径ライフルは前述の如く協会の推薦が必要となる。
 試験に合格すると、公安に出向き、銃の「譲渡承諾書」をもらって銃砲店に行く。店ははその承諾書がなければ販売してくれない。この承諾書をもらうのが苦労するのである。
 現在では公安委員会に何度も出向き、係官に熱意を見せ、やっとのことで所持にこぎ付けるという。だから最初は「銃を持ちたい」という気持ちが強くても、5回、6回と公安に出かけるうち萎えてくる。ぼくの知り合いで9回目に許可された人がいる。公安も譲渡承諾書を発行しないことを前提とするマニュアルを心得ているので、ある時は強くまたある時はしんみりと説得するようである。ぼくの場合は、今のような厳しい規制に入る前で、確か1回で書いてくれたと記憶するが、それでも1時間ほど2名の係官がクドクド説教を垂れた。
 当時の日記を紐解くと・・・・
 「銃を持ってどうするんや」「何で持ちたいねん?」「兵庫県では承諾書は出さんよ」
「もっとやることがあるやろ?」「銃盗まれて殺人に使われたら、君どうすんねん?」
 果ては
「勉強しとんのか?」・・・・何で公安で勉強のことまで聞かれなアカンねん!
「君の趣味は何や?そらそっちの方が面白いと思うけどな」・・・・そらオレが決める!
「お母ちゃんが泣くようなことになったらどうする?」・・・・覚悟はできてます
「君が気ィ付けとっても盗るやつはおるからな」・・・・それ防ぐんはアンタらやろ?
「事故が起きたら必ず後悔するで」・・・・車でも同じやん

 なお右に書いてある「口答え」は実際には言ってませんヨ。唯々平身低頭ごもっともというツラをして聞いていたのであります。
 とにかく腹を立てたら公安と縁を切りたくなる。二度と来るかい!とか、顔も見たくないワイ!と思えば向こうの思うツボである。じっと我慢を重ねてコイツはアカンわと思わせなければ。
 で、約1時間耐えた後、係官の一方がしょうがないなというしぐさを見せたのでぼくはほくそえんだものだ。しばらく二人でゴソゴソ話していたが、何日に承諾書を渡すから公安に来いと言う。やりました!
 約束の日に来たら、例の係官の一人が
「田中君、ヒゲぐらい剃って来いよ」
と笑いながら言われたのを覚えている。遅れそうになったのでヒゲを剃らずに出向いたのだった。
 現在は何回となく上記のような会話が繰り返されると言う。まあ最低5回のイビリは覚悟しとくことですな。



 ライフルの話  

 この言葉はもとは銃身の内側に彫ってある螺旋(らせん)状の細い溝のことを言った。銃によって6本〜12本ある。ライフルが出現する前の銃は、銃身の内面は滑らかであった。しかしこの溝を付けることにより、弾丸が発射され銃身を通過する瞬間、この螺旋に食い込んで回転がつく。銃身内で弾丸が1〜1.5回転するように彫られている。この回転軌道を「ジャイロ軌道」というが、弾丸は空気を突っ切ることができる為、命中率が飛躍的に向上した。そこで散弾銃を除くあらゆる銃にこの溝が設けられたので、その銃を「ライフル銃」と言う様になった。また本来のライフル(螺旋溝)は紛らわしいので「ライフリング」と呼ばれるようになった。
 今ではピストルや機関銃、大砲にまでライフリングが施されている。発射された後の弾の表面を観察すると、このライフリングに食い込んだ状痕と言われる線傷が分かる。そして犯罪などで使用された場合、その弾が発射された武器の特定に使われるのである。
 

       

   散弾(左)とライフル弾                 散弾の内部構造
ライフル弾として飛ぶ部分は先端銅色で、金色の部分は薬きょう
散弾では緑の先端部分から中の散弾が発射される



 銃の発射音など  

 散弾銃は1発の弾の中に、更に複数の小さな弾が入っており 発射後それが拡散し広範囲に威力を発揮できるものである。散弾は鹿などを撃つ場合は普通3〜5発の比較的大きな弾を使い、鳥などでは100発以上の小さなものが使われる。散弾は1発で約1tのものを動かすエネルギーがあるため、発射に際しては衝撃に注意しなくてはならない。クレー射撃(粘土製の皿を空中で撃つ競技)では前傾姿勢で撃っているのをご存知だろうか。あれは発射時の反動で後ろに倒れないようにしているのです。また銃床(引き金の後ろの肩に付ける部分)は肩から離していると発射時の反動で骨にぶつかり鎖骨骨折、肩の脱臼などに見舞われることがある。
 かつて兵庫ライフルクラブに所属していた頃、神戸の須磨総合射撃場には何回か出かけたが、クレー射撃の発射音は至近で聞くと「パンッ」という耳をつんざく様な乾いた大きな音である。少し離れると「ドカン」という雷のような音に聞こえる。いずれにしても映画で聞くような「バギューン」とか「ガーン」というような音ではない。これはライフルなどでもいっしょである。
 ライフルなどで硬いものを撃った場合は、弾が回転しながら跳ね返る「プッシーン」という音が聞こえる。(跳ね返り方によって違うんだけど)これはあの米国TV映画「コンバット」で忠実に再現されていました。また歩兵のライフルと将校が使うM1カービン銃との発射音の違い、更にはドイツ兵の使うライフルも発射音を使い分けていた。最近の映画ではかなり実際の音に近い効果音を使っているね。「プライベート・ライアン」なんかそう感じた。発射音はやっぱり「パンッ」では頼りないかな。ゴルゴ13で彼の発射するライフルが「パンッ」ではどうも・・・・ね。
 「コンバット」では銃口から吹き出る火、マズル・ファイアーも勢いのあるものだった。特にサンダース軍曹が撃つトミー・ガンのそれは凄かったが、あれはいくら何でもハデ過ぎる。銃口から30cmは出ていた。聞けば電気仕掛けの演出だったそうだ。
 それに比べて日本映画でのマズルは実に貧相で、アクビが出そうなもの。機関銃の発射でもケチな花火丸出しで、薄い煙がユラ〜と上に登っている。勢いのある弾を発射している実感がまるでない。これは映画関係者が実射を知らないで演出しているからである。またそんなところまであまり意識していないということだろう。とにかく銃口から火らしきモノが出ていればよいと思っているのだ。ストーリーがよくても、このようなデリカシーに欠けるシーンを見せられると一辺に興ざめするのです。
 戦闘機の機銃発射シーンでもそう。時速数百キロで飛んでいる戦闘機から発射される機銃の煙が、穏やかに拡散しているではないか。何だあれは。



 標的射撃の話  

 エアライフルは標的が10mの距離にある。的の最外周は45.5mm径の大きさでこれが1点になる。あとは5mmづつ小さくなって行き、的のセンターは0.5mmの点で、狙いを付けても見えません。ここにヒットすれば10点。的の圏外が0点である。1枚の標的には10個の的があり、左に2つの試射用的がある。つまり1枚の標的で100点満点なのである。競技では照準用スコープは禁止。センターの点は見えないが、4点圏から内側が黒く塗られているので的があることは分かる。

           


 着弾痕は円状に打ち抜かれる。それが少しでも、ある得点圏にかかれば、その得点が与えられる。従って同じ10点でも、完全にセンターを飛ばした10点と、かすった10点もある。ライフルは一度照準を合わせて、銃を固定すれば、何発撃っても必ず10点を飛ばすことができる。それだけの精度がある。
 他のライフルで、的までの距離が50m、100m・・・・と違っても、距離に比例して的が大きくなるので同じことである。ただ遠方になると、確かに的は同じ大きさに見えるがかすんで見えにくくなる。


  
  
         ファインベルグバウモデル9PRO-92 エアライフル 標的射撃専用銃
         スコープはタスコ社製軍事用 標的射撃の際はこれを取り外してマイクロサイトをつける
       



 標的射撃は三姿勢あり立射(りっしゃ)が最も難しい。銃身の揺れる要素が多いからである。後は膝射(しっしゃ)、伏射(ふくしゃ)がある。主として練習するのは立射である。撃った後は何点に命中したかを、横に設置したスコープ(望遠鏡)で見る。エアライフルは重量が4.5kg以上あるから、50発、100発と撃つうちにあちこちが痛くなり、初心者は手足の震えが止まらなくなったりする。こうなったらもうオーバーワークになります。休憩するか止めた方がいい。大口径ライフルはこの倍くらいの重さになり、音もでかいし、反動もきついから、慣れない人は1発撃っただけでへたり込む人もいる。射撃は集中力がものを言う。だが体はリラックスしていなければならない。世界で初めてエアライフルで満点を出した人(北欧かカナダの人だったと記憶)は、風邪気味で今日はアカンと思って撃ったそうである。



 手ごたえの話 

 銃で的を狙う場合、射手の視線は、まず銃の手前にあるマイクロサイトという小さな穴を通し、次に銃口上部についている「照星」を通して的を見る。「照星」は皆さんよくご存知の、横から見れば山のように盛り上がっているものであるが、射撃の場合は「マル照星」をよく使う。射手から見ればちょうど5円玉の穴をもっと大きくして全体を10mmに縮小したような、円の中に円をくり抜いた形ですね。(これは視界が暗くなるので、狩猟などにはあまり使われない。「棒照星」というものを使う)そのマル照星の中に的を捉えるのである。丁度離れて見る的の大きさと同じ、つまり同心円になるような直径に造られている。
 ヤリなどで獲物を突けば「手ごたえ」はある。釣りでもそう。しかし射撃で「手ごたえ」なんかあるものかと思っていた。それがあるんです。的を狙って銃を発射したら、銃身はベテランでも動く。その瞬間マイクロサイトや照星から的がはみ出る。このはみ出し方がほんの少し遅れる場合がある。つまり発射が完全に終了するまで、射手の目が的を捉えている時である。オッと思って横のスコープ(点数確認用)を覗くと、果たせるかなド真ん中を打ち抜いているのである。これが射撃における「手ごたえ」である。中心部に当たったか否かが、スコープ確認しなくても分かるのである。



 再びエアガンの話 

 前述の通り、おもちゃの銃は進歩が著しい。命中率の向上は言うに及ばす、メーカーのこだわりやファンの要望から、実にリアル感を持ったものが市販されている。ライフル系の銃は、メーカーが市販している銃を基にして各販売店(たとえば、大阪では「ファースト」「なにわガンショップ」「むげん」などが有名である)が改良を加え、あるものは更に命中率を向上させ、あるものはスプリングを強化して威力を増したものを作っている。この改造(多くは合法的だが)をチューンナップと言う。そのように調整された銃をカスタムガンと呼ぶ。中には15m離れたコーヒー缶を打ち抜く威力を持つものもある。本物を持てない日本ではこのような、おもちゃとは言い難いおもちゃが存在する。
 この手のエアガンの条件は
1.命中精度がよいこと
2.威力があること
3.実銃の外観に近いこと
4.スコープが付いていること
5.重量があること(軽いとピストルでも嫌われる)
が挙げられる。どの項目を優先するかは、個人で違う。このように本来実銃の欠点とも言うべき要素がおもちゃでは要求されるのです。マニアが泣いて喜ぶのは発射時の「反動」である。こんなもの実際には邪魔で仕方がないのだが。
 本物のドイツ製エアライフルが16〜18万円した時代に、おもちゃが30万円以上していた。これはまだ安い方で、福井県にあるトイガンショップでは50〜100万円するものもあるとか。わざわざ九州から車で買いに来た客もいたそうだ。(その店の店員の話)まあ他の趣味でも金をかけるから不思議ではないがね。
 いくら金をかけても命中率を高めるには限界がある。銃身にライフリングは切れてもBB弾が樹脂なのでうまく食い込まない。それに球形の精度にも限界がある。威力はスプリング強度を増せばよいのだが、強度を増すほど次第にトリガー(引き金)が重く固くなり結果的に命中率に影響を与える。コッキングといって、1発発射するためにバネを縮めて一旦固定する作業がある。そのロックされた状態を、引き金を引くことでロック解除、つまりバネが戻り、ピストンが押されて弾が飛ぶ。このコッキングも、バネが強いとそれだけ強い力で引かなければ固定できない。50発くらい撃つと、この作業が辛くなる。そうすると生理的変動を伴うため、照準にもに支障を来たすのである。
 専門誌で見た福井県の店に電話をかけて話を聞いてみた。
 「おもちゃなのにどうして本物より高いんですか?」
 「それはおもちゃだからこそ、命中率を上げるのに様々な工夫が必要なんですよ」

                                                    ファインベルグバウモデルMU-91 エアライフル 標的射撃専用銃 


 なるほど、理屈にはなっているかな。ライフリングのない銃で如何にして命中精度を上げるか。これは相当な難題である。はっきりしているのは実銃には絶対にかなわないことである。それは店のスタッフや客の意識からも見て取れるのである。たとえば、たかだか10m〜20mの標的を狙うのにスコープを付けたがる。確かにこれを装着した銃はカッコイイ。しかしやっていることはチグハグなのである。実射では命中精度あるのみなのだから。
 また、ウチは30mで射撃大会をやっています、と見栄を張る。実銃エアライフルでも10mやのに。エアガンは大して飛びませんという劣等感から来る反動である。そんなに背伸びしてもみじめなだけだ。そうかと思うと、伊丹にある店ではマチ針(裁縫に使う頭の丸い針)の頭を標的に15mの距離で撃っているという。マチ針の頭は小さいもののたとえにはよい。宣伝文句も「15mでマチ針の頭をヒット!」とあった。
 銃の命中精度は実銃では「グルーピング」で表される。これはその銃を無風ドームで、完全固定し、数発程度撃った時の着弾範囲である。普通、50mで27mmなどと言う。50mの距離から撃って、27mmの直径の円内に全弾が収まるということである。言うまでもないが、グルーピングは小さい方が命中精度はいい。
 しかしそんな言い方はみんなしない。どれくらいの命中精度かを聞くと、これくらいですねと言って、大抵は指で丸を作るのである。何mで何mmだと言えばよく分かるのに。そのようなデータは出していない。(最近のガン専門誌ではグルーピングの表現が見られるようになっている)
 その伊丹の店でも同じ表現をされた。若い店員が大体20mmくらいの円を指で作った。
 銃を固定しても20mmバラつくのに3〜4mm径のマチ針を的にしてどうするの? 仮に命中しても射手の腕なのかまぐれなのか判別できない。だって固定して撃っても当たらない的なんですヨ。
 一人の客が自慢げに言ったものだ。オレこないだマチ針ヒットしたんですよ、ねえ。と店員に同意を求めた。ぼくは、へェ〜、すごいですね と言っておいた。客はその店で38万円かけてカスタムを購入したとのこと。そのマチ針をヒットした銃で1発だけ撃たせてもらった。重量が4kgくらい。トリガーは意外に軽かった。
 だがあまりの値段の高さにビビったぼくは、挨拶もそこそこに店を出た。ちなみにこのページ冒頭に掲げたアンシュッツ9003モデルは30万円程度である。本物です。


                              
 機能美についての話
 銃は目標物に向かって正確に弾を発射するという、ただその目的だけの為に存在する。他の一切の目的は排除されている。この一途さというか媚のなさは、実に美しいと思う。合わせてどんな動物でも倒せるという武器の持つ凄みが加わり、荘重で静かな美 とでも言おうか、他の物にはない機能美を持っている。それらが一体となって「機能美」を醸し出しているのだろう。(実際には彫刻が施されたりしている銃もあるが、個人的には好きではありません)
 夜な夜なその機能美にご満悦の笑みを浮かべつつ銃ケースから取り出して眺めている様は、第三者からすると不気味に映ることだろう。

 一方、エアガンの中には、実物が存在しない想像だけのものがたまに発売される。これがダメなのである。どうしても格好を意識して設計されたような部分があり、「ファンへの媚」を感じてしまうのだ。あるいは設計者や製造者の手前味噌な「こだわり」がある。「私はこれが、美しいと思うのです」という押し付けがましいこだわりである。そんなことこちらの知ったことではない。つまり「機能」以外の無駄な部分が生じてしまい、それは必然的に「完成された機能美」を削いでいる。端的な例では、SF映画や子供向け怪獣映画などに出てくる武器がそうだ。イヤに大型で え〜、うっそ〜 と言うような形をしているものばかり。それは見る者の目を一瞬引くが、もう次の瞬間にはうんざりした失望感に変わってしまう。
 
 


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