- 家族蔡の実践
-
- 家族蔡の実践
- 大念寺 ホーム
葬儀を考える
心のこもったお葬式を考える?
おばあちゃんを亡くされた遺族の方から、病院の霊安室にいる時から、病院に出入りしている葬儀業者が、
葬儀の値段など次から次へと話をされるので、悲しみに浸る暇もなく疲れてしまいました。というお話をされていました。
現状の葬儀は、葬儀業者を中心に運ばれ、お寺や信仰を無視したものであると、つくづく感じます。お寺も葬儀業者に使われる時代なのです。
もう一度、お寺がお布施だけをもらっていれば良いというお金中心の葬儀を見直し、
信仰を中心にした葬儀のあり方を問わなければいけないのではないでしょうか?
例えば、私達の宗派(融通念仏宗)でしたら、ご本尊(十一尊阿弥陀如来)の絵像を掛け、その阿弥陀様の浄土へ還らせていただくという悦びをもった信仰心。
それを中心にすれば、祭壇はおまつりする祭壇と花があれば十分でしょう。
お寺で葬儀をしてくだされば、葬儀業者が勧めるような高い祭壇にしなくていいのではないでしょうか?(高いのを望む方はそれはそれでいいでしょう)
但し、私ところのお寺が、檀家も多ければ、葬儀業者も協力するでしょう。
しかし、100件余りの檀家の小さなお寺では、なかなか商売の業者に対抗できないのが今の社会の仕組みです。
だから、遺族の身になって葬儀のあり方を見直そう(心ある葬儀を考える)というお寺さんが、宗派を超えてネットワークを組んで、
例えば心ある葬儀を推進する会(仮称)などの団体をつくっていけば、
小さなお寺でも大きな力になり、もう一度、葬儀ショウになることなく、信仰をもった仏事としての葬儀を取り戻せるのではないでしょうか?
お布施だけにこだわらず、葬儀をもう一度信仰の対象と考えるお寺さんがネットワークを組むことが大事だと思います。
今そういう取り組みをしていかないと、お寺さんのお経はイベントの一つ、
更に進めば、テープでいい、葬儀業者の社員がお経だけ唱えていればいいという時代になってしまうのではないでしょうか?
本来仏教会でも、このような提案が出来る取り組みが出来ればいいのですが、やはりお布施やお金儲けにこだわるお寺さんが大半で、多分無理でしょう。
お布施にこだわることは、将来自分のクビを締めているのでしょうが、これに気づかないお寺さんが多いのも残念です。
危機感をもった自主的なお寺さんの集まりを期待したいです。
そして、100%私達は死を迎えるのですから、自分自身がどう生きるかを真剣に考えるためにも、死を避けないで見つめる事が必要でしょう。
そのためにも、最後の儀式をショウ的に考えないで、生きた証としての儀式として真剣に考え合いませんか?
お葬式を考える
死を迎えるということ
家族葬を考える?
核家族化の現代社会にともない、人々の意識のあり方の変化とともに葬儀のあり方も変わってきました。
『自分らしい葬式』
『心のこもった葬式』
『大切な人・愛する人を送る葬式』にするとは何かをお寺と共に考えていきませんか?
家族葬とは、
盛大なお葬式ではなく、こじんまり故人を送ることです。
つまり、新しい生まれ変わる儀式においても、
「義理や付き合いを避けて、本人との関係が濃い人だけ」
という意味合いのものです。
決して家族以外を含めてはならないというものではありません。
本当に心をこめて、愛する人、大切な人を送ってあげようという方々に集っていただければよいのです。
よって、「家族葬」は新しい形式ではなく、昔から伝わってきた本来のお葬式なのです。
故人を中心に遺族によって、「死者との別れ」として心をこめて行える儀式なのです。
お別れの時を大切にした、原点に立ち返った本来の葬儀のあり方と言えます。
もちろん葬儀費用も軽減されます。
「家族葬」は、家族や身近な人を中心に執り行うことから、
親戚や特に親しかった友人などにも会葬していただく場合もあります。
しかし、近所や勤務先には、「家族で行いますから」とはっきり伝えるかどうか、喪主の意思と考えが必要です。
「家族葬」で行った事を葬儀後にお知らせする事も大切です。
家族葬は、小さい葬式、安い葬式ではなく、故人を主役にしたお葬式のことです。
家族が主体の心温かい、
|
盛大な葬儀の場合は、葬儀会館のような設備のととのったところでないと不便でしょう。 |
|---|
故人の意思表明、そして家族が故人の意思を正確に伝えることを目指し、寺がその石を丸ごと受け止めて実行するのが理想です。
そのためにも家族葬のご希望の方とよく話し合って執り行いたいと考えています。
家族で一緒に読経後、故人の思い出を語り合います。
写真などで偲び、生前好きだったものを食べるのもよいかもしれません。


