古典椿図譜
中世から近世に入り、日本では江戸(Tokyo)に徳川幕府が樹立され(1600年)長い内戦の
状態が終わり平和がやってきた。
園芸も盛んになり、椿の品種も増加し多くの絵や文献が作られた。

1690年ドイツの医師、生物学者のケンペルE.Engert Kaempferがオランダ東印度会社の医師として長崎に来て江戸にも来た。帰国後、著書回国奇観(Aoenitatum Exoticarum)は 椿の図があり、23の品種を紹介している。(1712年)
1823年にはドイツの医師シーボルトPhilipp Franz von Sieboltが来日し、 1829年帰国の際ドンケラリー.Donckeraliiなどの椿を持ち帰った。
ヨーロッパでは大航海時代を経て、中国などとの交流が深まり、多くの文物とともに 椿も輸入された。一番最初の入ったのは1739年頃と云われている。
次いで1792年.アルバ・プレナAlbaplena, バリエガータVariegata が導入され、その後色々な品種が輸入され、熱狂的に受け入れられた。
しかし、当時の航海では二度赤道を越えて運ばれるのは大変な事で、欧州の諸国で盛んに交配され新品種も多数生まれた。
それらのカタログを兼ねて椿図譜や植物図譜が作られた。リトグラフで印刷され、後、手彩色された。
数はそう多くなく、王侯、貴族、豪商しか購入できなかった。 これらの本で現存するものは1ダース以下と云われる。

これらの私のコレクションから当時の和洋の絵を紹介する。
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